「キリストの日に備えて」  06.12.10
                   フィリピ1:3〜11

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、
なんと幸いなことでしょう」とエリサベトはマリアに言いました。
 このことの少し前に、マリアは天使から、自分が救い主を
身ごもると告げられました。恐れと不安で一杯になったでしょう。
 しかし、「お言葉どおりこの身になりますように」と答えました。
 主の言葉の実現することに、深い信頼を寄せて歩み始めたのです。
 いや、信頼を寄せていたからこそ、不安や恐れを抱えていても、
進み出すことができたのでしょう。そのように、神さまの言葉への
信頼の中で進み出す者のことを、聖書は幸いな人だといいます。

 誕生までのマリアの歩みには、問題が一切なかったというのでは
ありません。神さまに守られて、順調に事が進むこともたくさん
あったでしょう。
 しかし、すべてが願いどおりであったというのではありません。
 そもそも、身ごもること自体が、願っていたことではありませんでした。
 出産直前の旅も、避けたいことです。しかし、権力者による旅の
強制から逃れることはできませんでした。
 マリアは、不安を覚えるたびに思ったことでしょう。
 「イエスさまを身ごもることは、神さまのおっしゃったことだ。
 神さまのおっしゃったことは必ず実現する。
 だから、大丈夫。神さまが一番よい道に導いてくださる」と。

 パウロは、フィリピの教会の人たちのことを安心して見ていました。
 欠けのない完璧な信仰者たちだからではありません。
 ただ、福音にあずかり続け、神さまの力を受け続けているからです。
 御手で捕らえ、信仰へと導いてくださった神さまが、その手を離す
ことなく、なお導いてくださっている。
 それゆえに、課題や心配があっても、安心して見つめていました。
 私たちも同じです。自分の欠けや弱さばかりに心を奪われるべきでは
ありません。あせって、攻め立てる必要はありません。
 私たちに良い業を始めてくださった方が、救いの業を成し遂げて
くださることを確信し、期待したらよいのです。
 だからこそ、安心して進み出せます。